はんだごて

Popなんだけど何処か切ない音楽が好き

世界大統領になれない人生

 起きて仕事行っては食って寝て。起きて仕事行っては食って寝て。また起きて仕事に行く。一番楽しいのは金曜日の夜の数時間だけ。

 社会人一年目の新人なので会社では怒られることもあります。というより、怒られてばっかりです。

 こんな生活を繰り返していると頭の中にふと浮かぶことがあります。それが

「こんなに苦労して一体何の意味があるんだろう」

 てこと。だってそうじゃないですか。会社で怒られ苦労したって会社辞めちゃえばその苦労は無駄になるし、究極死んじゃえば全てが水の泡になります。死んだあとも後世に自分の名が語り次がれるならいいですけど、そんなわけはないし、ただの無能新卒DTMerだし僕の名前が歴史の教科書に載ることはまぁないわけです。

 僕が苦労したところで、誰が見てくれるわけでもない。

 僕が傷ついたところで、誰が見てくれるわけでもない。

 僕が幸せになったところで、誰が見てくれるわけでもない。

 そんな事実が確定しているなか、じゃあなんで苦労しているんだろうって話になってくるわけです。例えば世界の人口が100人しかいなかったらどうでしょう。昔「世界が100人の村だったら」っていう番組ありましたよね。あんな感じ。100人の中の一人に自分がいたら日々の当たり前の苦労でもみんなが僕のことを見てくれているわけです。

「課長!先日言われていた書類ができました」

「おっ、早いな。どれどれ・・・。おっなかなかいいじゃないか。次も頼むよ。君の仕事は残る99人の『人類の未来』がかかっているんだからね」

「はい!頑張ります!」

 こんな感じで世界人口が100人しかいなかったら一人一人の存在が重宝される。ちょっと頑張っただけで「君、来年から世界大統領ね」なんて言われるかもしれない。別に無能だっていい。「あまりにも無能すぎて全人類から見放された男」として将来歴史の教科書に載るかもしれない。そっちのほうが今の何にも残らず、死ねば全てが消える人生よりも何倍も価値がある。

 要は人が多すぎるんです。70億人もいたら誰が苦労していて、誰が鬱病になって、誰が死んだのか誰も分からない。例えば、いま遠い国で誰かが苦労の末に自殺したところで、世界は何も変わらない。僕が死んだところで世界の何も変わらない。生きていても意味ないから死のうじゃなくて結局死ぬことも「無駄」なんですから意味がない。だって死んだって歴史の教科書に載らないんだから。

 じゃあ人一倍苦労して今からでも教科書に載るような偉業を成し遂げる人間になればいいじゃないか。と今読んでる人は思うかもしれない。確かにそうですけど別に僕は偉人になりたいわけじゃないんです。だってそのためには今以上に苦労しなきゃいけないし、誰も思いつかないような道を進まなきゃならないし、強運も必要だし、今の仕事だって「泣きたい・・・早くおうちにかえりたいよう・・・」とか言ってるのにこれ以上の苦労なんて正直できません。仮に有名人になれたとしてもバッシングとか怖いし。一万人に褒められたとしてもたった一人に否定されただけで悲しくなっちゃうような人間だし。そんなメンタルも能力もない人間が偉人になんてなれるわけがないんです。じゃあこの山あり谷ありの人生に何の意味があるのでしょうか。マラソンにだってゴールがあって何かプレゼントがもらえるわけです。なんか褒美が欲しい。もうすぐ死にます!ってなったら運命から何か貰えたらいいのに。人生ゲームのエンディング画面みたいに

1歳 初めて自分の力で歩きはじめる

6歳 初めて自転車に乗れた!

18歳 大学受験に合格!

22歳 社会人生活スタート!失敗を繰り返しながらも日々スキルを高めた!

とかやってほしいのに。そしてその一つ一つに「よく頑張った!」って褒めて欲しい。多分泣くと思います。こういうのは本当に必要。泣きながらも笑顔で「世界大統領にはなれなかったけど、まぁ頑張ってきて良かったな」って最期に思えるから。